発達障害の分かりにくさと、松葉杖で親切にされた事

こんばんは、ろばみみです。

ぼーっと歩いていたら階段をふみはずしてグキッ!捻挫してしまいました。

 

 

 しばらく休んだら落ち着いてきたのですが、だんだん痛みが増してきて・・・この日は早めに帰る事に。電車も壁際によりかかって痛みを我慢。タクシーで帰宅しました。。。

 

 次の日病院にいったら、「1ヶ月は足首を動かさないように。」「夏には間に合いますからねっ!」といい笑顔でギブスと包帯でぐるぐる巻きに。そして松葉杖を渡されました。

 

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松葉杖、思った以上にスイスイ移動できる!すてき!!!

 

 

 痛みに耐えながら、よたよたのろのろ歩いているのと段違い!普通に歩く速さでいける。竹馬みたいでたのしー!!!ちょーしにのっていたら腕肩肘がへっとへと。筋肉痛です。こりゃー・・・回復時には上半身ムッキムキになる事でしょう。

 

松葉杖をついてびっくりしたのが、みんなみんな親切にしてくれるって事でした。

 カフェではテーブルにお会計をもってきてくれました。ちっちゃい子がドアを開けてくれてかわいかった。バスではおばあさんが席をゆずってくれるし。うれしいなあ。おかげで不自由ながらずいぶん楽に過ごせるようになりました。

 

だけど、もやもや考えてしまうのは・・・

 

 だけど一番痛かったその日は。だれも席を譲ってくれなかった。ゆっくりゆっくり歩いていると、押されるし。あせってると舌打ちされる。休み休み必死でようやく帰ったのでした。

 

 

 

見た目で分かりやすくないと、親切は難しいって事なのかな。

 

 ちょうどツイッターで障害者は分かりやすくしとけって発言が話題になっていて。その意味ってなんだろなと考えてしまいました。

 以前、障害者雇用で支援したくなる障害者がほしいという希望を聞く事があって、おいおいおいおいふざけんなこのヤロウ・・・と怒りしか感じなかったのですが。

 

 松葉杖あり・なしでこんなに反応が違うのを体験してみて、発達障害を松葉杖みたいに分かりやすくできたらいいのにーと考えてしまいました。

 

私にとって切実なのは「発達障害」を受け入れてほしいという事。


 私の場合、身体的には普通の人となんら変わりなく、ただ事象を認知する幅がすんごく狭いだけなんです。

 

 ざわざわしている中での会話はかなり困難です。授業もろくに聞き取れず大変でした。カラフルなチラシは意味不明になりがちで、空気を読んだり言葉の意味を推し量るのも難しい。職業診断テストでは致命的に不器用で手先を使う職業はやめたほうがいいレベル。そうした不利を言語でどうにかカバーしている状態です。

 

例えば、大変さってこんな感じ。

 

 先日、駅で何度も特急と普通を乗り待ちがえて目的地にたどりつけない事がありました。

 駅のアナウンスが複数同時に流れるとほとんど聞き取れないため、次にくる列車が「普通」か「特急」かがわかりません。電車に表示されている「普通 ◯◯行き」「特急 ◯◯行き」が同じ文字に見えています。これかな?と乗ってドアの上の電光掲示板を見ると「次は△△」「△△△には止まりません」△△△の字を見てよかった乗れたって思っちゃう。

 で、通り過ぎてあせるー!!!次はどうしたらいい?って必死で電光掲示板をみつめる。「夏は◇◇◇へ◇◇のお知らせ」「◻︎◻︎◻︎駅で人身事故」知りたい情報が流れてこない。車内のアナウンスは聞き取れない。頭の中はパニックパニック大騒ぎ!

 最近でこそ、落ち着いて深呼吸して冷静に考えて、次の駅でおりて駅員さんに尋ねて折り返せるようになりましたが・・・。以前は間違った事から「うわぁー」「バカバカバカバカ」「こんな事もできないなんて最低っ」などと自己嫌悪ループに陥っていました。

 

相談して受け入れられた事、だめだった事

 

 でも、そういう障害があって日常生活が大変なんだって相談しても、分かってくれるのはほんの一握りです。だいたいは「こっちに迷惑かからないようガンバレ」で済めばいい方で。遅刻やミスが多い事を責められる方が多いです。そんでさらに自分の事を自分で責めてしまう。。。そして欝まっしぐらです。(最近はミスを責めるの大好きな人には近づかないようにしています!)

 確かに仕事でも書類や入力のミスはすっごく多い。でもそこをカバーしてくれたら・・・。入力ミスを馬鹿にするんじゃなく、助けてくれた人がいる場所ではいい仕事ができたって思う。名刺を忘れた時、持ってきてくれたミーティングはすごくうまくいった。そのひとつひとつを思い出す。

 

いったいどうしたらいいんだろう?

 

 発達障害があって日常生活を送るのは困難な事です。もしかしから足の捻挫の方が楽かもしれない。松葉杖を使うと足が痛くてもスイスイ移動できるし、親切な人のおかげでなんとか過ごせる。いい人がたくさんいるってうれしい気持ちになれる。

 

 けどその怪我だって、松葉杖を使わないとじゃまな奴扱いされてしまう。見た目のわかりやすさによって親切さがかわってしまう。

 

 発達障害の受け入れにくさを怪我と松葉杖と同じくらいとすると、これはやっぱり大変な課題なんだと思いました。もしかしたら、怪我をした直後にうまく人の助けを得る方法を考える事がヒントになるのかも。

 

 そして受け入れにくい障害だけど助けてもらった事もゼロではない。その時何が起きていたんだろう。人の心のボタンをポチッと押せるような、何かって何だったんだろう。

 

 それが分かれば不自由なりに生きていける感じがする。なんなんだろうな。切実にそれが分かりたいって気分です。