ロビン・ダンバー「なぜ私たちは友だちをつくるのか」
ロビン・ダンバーの「なぜ私たちは友だちをつくるのか」を読みました
とても面白かった
友達がどうやってできるのかを研究していたからです
なんで面白かったかっていうと、友達がなかなかできないからです😭
この本には、人がどうやって友達を作っているかが解説されていました
友達を作るには、お世話したりされたりのコミュニケーションができる事、シグナルによるコミュニケーションができる事、サリーとアンの課題が解けること(相手が間違った認識をしている事を把握できる事)が必要で、さらに社交スキルが上達し、世渡りができるまで、10年、20年、30年とかなりの時間がかかるとあった。なるほどなるほど。
この中で、ASDはいろんなシグナルを読み取ることが難しいので、友達を作ることが難しいと、あちこちで対比として用いられている。
このことに何だかひっかかった。
というのは、先日の発達障害の自助会がとても楽しかったからだ。たくさんの人が集まって、失敗談や困っている事、楽しい事、悲しい事などのおしゃべりを楽しんだ。
発達障害の中にはASDが含まれる。私もASDがある。ここでは友達になる事に何の問題もない。
思い出してみると、
私「カラーコーンに気がつかなくって転んでケガしちゃって」
皆「わははは、あるあるー」
私 「iPhoneってよく隠れるよね 」
誰か「”iPhoneを探す”が便利だよ!」
私 「なーるほどー」
こんな感じで話していた。
一方、ざっと集められた”普通”の人が沢山いる仕事では慎重になっている。話す事でいい仕事から外されたり、みそっかす扱い、いじめのターゲットになる事を恐れている。あえて話すとしたら、失敗するリスクの高いタスクを振られそうになった時だ。似たような失敗をして凹んでいる人にも慰めとして話す事はある。違いを大きく感じる場、がんばって合わせなければいけない、そんな場で友達を作れる訳がない。
自助会では友達ができる、ざっと集められた場では難しい。という事は、ASDが友達を作る障害になっているのは、共通の体験がない事だといえる。
人口の1割が発達障害だとすると、ざっと10人でチームを作ると9人が”普通”の人で1人は発達障害だ。同じ感覚の持ち主が9人集まったら、それは先日の自助会みたいに楽しくなるだろう。困った事や失敗談をどんどん出して、皆で考えて解決していけるだろう。毎日自助会やってるようなものなんだろう。この中でさらに社交スキルを磨いているんだ。ううううむ。
しばらく前に発達障害の検査を受けた時、行動の素早さやリスク志向が男子高校生並だという結果がでた。なるほど納得だ。40代女性のサークルに男子高校生が入るようなもんだ。そりゃー難しいだろう。たまにならゲストとして歓迎されるかもしれない。でも毎日こられたら迷惑だろう。力があって機械が得意だから困った時には呼ばれるだろう。でもずっといられたら困るだろう。おやつやおかずを貰うのはうれしかった。けど毎日これは大変だ。
それでも、お互いに必要を感じているし、いざという時は助けあえる。
”普通”の人、人口の9割とはそういう関係であればいいのかなあと思いました。
