カサンドラの記事から考えた。心の回復に必要な事と、受け手の心構えについて。
昨日ツイッターで流れてきたこの記事。
ちょっとまって、、、
ほんと読んでて悲しくなりました。
まずはこの方の境遇に。。。
そして、DVの原因が発達障害だとまとめられていることに。
あんまり悲しかったので抗議のメールをがんばって書きました。
ちくしょうちくしょうこんちくしょう!!!
悲しい、ちくしょうって思う。どんな風に、なんでそう思うのかをだーっと書く。読み返して足りないところを付け足し、余計なところを削って怒りと悲しみをありのままに納得いくまで表現していく。
そうしてすべすべになった怒りを見つめたら「そうか、こんなに悲しかったんだ・・・」って思えて。だんだん落ち着いてきました。
そこからトゲを抜いて、まるくして。受けとってもらえたらいいなと願って・・・デイリー新潮さんに送りました。
ああーーーーー
スッキリ!!!!!
この方法は、放送大学のカウンセリングの授業にあった、書く事で癒されるというトピックからヒントを得ました。
嫌な事、辛い事、悲しい事。
それを無かったことにし続けると、予期せぬトラウマに成長してしまいます。でも、こうして自分の感情を、たとえどんなに非常識なものであったとしても、一旦そうなんだと認めると、心の傷が回復のステップを歩み始めるのだそうです。
その過程で、およそ社会通念上、許されない願いが出てくることもよくある事で。それも一旦外に出す。でも、ここでは決して実現させないと約束する。
それが心の回復に必要な事なのだそうです。
もう一度、記事を見てみます。
妊娠したよと夫に告げたら、急にDVが始まって・・・
優しかったのに、子供がほしいねと会話があったのに
無視、暴言、虐待・・・理由がわからないまま
筆舌に尽くしがたい仕打ちをうけ、身も心もボロボロになって。
そこから脱出するのに
夫は悪くない、私も悪くない、誰も悪くない。
いい人である事を求められて。
行き詰まって苦しい、苦しい・・・。
そこに現れたのが「カサンドラ症候群」
悪いのは「発達障害」だ、救われた・・・
そう思うのは、回復のために必要な事だったんだな・・・と思います。
被害を受けた方が、強い思いをもって訴えて、受け手はそれに涙して。。。それが事実かどうかは癒しの場では必要ない事です。きっと、そうなんだ、そうなんだって受け止めてくれたんだろうな・・・と思います。
でも、この記事が掲載されたのは大手メディアなんです。
「DVの原因は発達障害」
この因果関係は事実かどうか、しっかり調べてほしかった。
もちろん、簡単ではないと思います。
いま、「カサンドラ症候群」で検索をすると、身近な人とのコミュニケーションが思うように行かず、理不尽な仕打ちを受け、疲れ果て、、、、その原因が「発達障害」や「アスペルガー」であるとの記事が山のようにヒットします。
でも、よくみてください。その多くが数年前のネタではないでしょうか。そのそのネタに影響されたサイトではないでしょうか。
「カサンドラ症候群」の原因をきちんと分析していくと、発達障害やアスペルガーが直接の原因ではないと分かります。そうした最近の流れが、過去記事に流されてネットの世界では見つからない。これはショックでした。
これでは辛い思いをして「カサンドラ症候群」で調べたら「発達障害」や「アスペルガー」が原因であると思い込んでしまいそうです。
私が悲しいのは、発達障害ですといって、人種隔離政のような扱いを受けた事があったからです。テレビで見た、新聞で見たから、迫害していいんだというわけです。
今回の記事が、そうした根拠に使われる可能性を感じたのです。
ハンデをしょって、パンチをかわし、ガーンと浴びてダウンする日もありながら・・・ようやく生きているっていうのに。やれやれだぜー。
・・・そんなこんなです。