いつも怒られる職場を選ぶのはトラウマのせいなのかな。

引き続きとあるアジアの町を旅しています。

こっちはほんとに子供が多くてびっくりしてしまう。

若い人が多くて本当に賑やかです。

 

今日はバスに乗っていたら、座席の背中を子供が思いっきりどしどし蹴って暴れてきました。

しかし全く気にならなかったのです。日本にいるととても不愉快でストレスに感じてしまうのに。

 

なぜだろう。もしかしたら背中を蹴ると言う行動を不愉快の表明と受け取っているからかもしれない。日本にいたとき、一時期ですが、電車に乗れなくなっていました。背中を蹴る、座席にもたれかかる、大声で喋る・・・そうした行動から、不愉快である、邪魔である、というメッセージを受け取っていた。おまえは邪魔なんだって。だけどこちらでは、ただ賑やかなだけです。

 

なぜ不愉快ではないと思えるようになったのか。ひとつは周りの人がこの賑やかさに一切不愉快な顔をしないからかもしれません。

 

言葉も通じない人たちから学習している。だとすると私が発達障害だから空気を読めない、というのはなんだか話が違うように思います。もしかしたら、過剰に空気を読んで学習しすぎている位かも。処理しきれず、これ以上は読みませんと脳がシャッターを下ろしていたのかも。本を読みすぎてストーリーを追えなくなるみたいに。どっちにしろ適応障害にはかわりありませんが。

 

ともかくこの賑やかさの中にいて、日々元気を取り戻しているような感じがしています。

 

ところで、どうして私はいつも怒られてばかりいたんでしょう。日本にもこのような賑やかな人間関係があったように思います。その中にいれば多少ドジをしようが、時間に遅れようが、激しく怒られる事はないでしょう。

 

ところが何故かいつもミスが許されない。そういう職場を選んでしまう。ミスを許される職場などこの世にないと思い込んでいる。遅刻が許される職場はどこにもないと思い込んでいる。セクハラをされない職場はないと思い込んでいる。

しっかりしなくちゃ。そう思うのに、現実には、遅刻しミスし私は女性で。どうがんばっても追いつかない。

求職票を見ていると、怒られなじられ、セクハラされる様子を思ってフリーズしてしまう。

 

それでなんだか逃げ出してきてしまったわけなのだけど。

 

スーツをびしっと決め、受け答えをバッチリし、立派に仕事ができますと、そのように言うと遅刻やミスが許されないところに自動的に連れていかれてしまう。それは嫌だ。そうではない場所を何とか見つけ出したい。

 

ずっとそう思っていたはずなのに。絶対無理だダメだきちんとしなければいけない。そう強く思い込んで仕事を探し、最初の内は何とかがんばり、だんだん崩れていってしまう。これを繰り返している。壊れたレコードみたいに繰り返している。これがトラウマってやつなんだろうか。

 

今度こそ自分に合った場所を見つけたい。もしかしたらこっちで仕事が見つかったらいいかもしれなん。日本で探す事はできないんだろうか。帰りたくない。でも、和食食べたい。お風呂に入りたい。こっちは今そんな感じです。