人間ぎらいでも構わない。「50歳からの孤独入門」
人間ぎらいでも構わない、というタイトルが気になって「50歳からの孤独入門」を読んでみました。
孤独はいやだ
人間、きらいってわけじゃない。むしろ好きなんだけど・・・
どうにもトラブルになりがちで腰が引けてる今日この頃。
それなのに孤独に耐えられないから、外食をし、旅やイベントに出かけたりする。
孤独が平気になったら、無駄遣いもしなくなるし、不安もなくなるんじゃないかと思ったのです。ちょっと早いけれど、50代は必ずやってくるし、準備をしておいて損はない話です。
現状に適応しよう
読み進めるうちに、これは何らかの事情があって孤独にさいなまれている人に響くかもと思いました。
この本は、50代になると体力・気力が衰えてこれまでの自分ではいられなくなる。
アイデンティティーを剥奪され崩壊する、そこから再度立て直す指南書ですが
無理をして普通に働いてきて、それがアイデンティティーになっていたのに、限界が来て手放し、そこから再度立て直す、たった今の自分にも応用できそうです。
ただ、ターゲットが順調に人生を歩んできた50代なので、辛いなあと思う箇所もありました。
孤独について、著者は「実りある退屈」を味わいましょうという提唱をしています。
刺激を次々に取り込むのではなく、自己表現につながるような趣味を持つ事。後悔や嫉妬となんとか折り合いをつけていく事。それができれば孤独はいいものだという事です。
確かに、そうだなあと思います。
孤独にいやなイメージがつきまとうのは、孤独をこじらせて心が荒んでいく人を見ていたからかもしれません。この本が勧めるように、絵や写真におもしろさを見出したり、ダンスでワクワクできれば孤独は怖くない。
面白かったのが「50代の恋愛はあきらめろ」という主張。いきものとして魅力がゼロになるのに、気持ちはまだまだなのでギャップに苦しむわけです。
「自分がどこで理性を失うか」を整理しておく。そうすればトラブルを遠ざける事ができる。これはやっておこうと思います。
孤独の最後
そして孤独は最後を迎えます。いかに死ぬか、大切な人との別れをどうするか。
この本で紹介されていた「アカギ」の「赤城しげる」の最後が気になって、古い喫茶店に読みに行ってきました。
若い頃天才ギャンブラーとして腕をならした主人公が、50代で若年性痴呆症に。自分らしさが失われる日々に終止符を打つべく、古い戦友を集めて最後の時を過す・・・。
アカギは天才でありつづけるために、孤独であることを自らに課してきた人です。その人が最後に「無念・・・無念であることが そのまま生の証だ」そして完成へ・・・。やばいです。孤独に生きる事の最後にこれをもってくるとは。
孤独はよいものだ。
結局、私が孤独を恐れているのは、それにより精神が荒廃して自分が自分でなくなるのが怖いということなのでしょう。
長年コンプレックスだった「人間が苦手」という性質は、ここから先あまり変わることはないようです。
なので、きっと私は孤独でしょうが、下手くそでも自己表現を続けて、それなりに楽しんでいこうと思います。