発達障害の子供たち(2007)を読んだ。12年前の話って本当に?今日の事じゃないの?

 

 

発達障害の子どもたち (講談社現代新書)

発達障害の子どもたち (講談社現代新書)

 

 

発達障害を持つ人の大変さをよくまとめてくれて、かくかくしかじかなんだと分かりやすい。当事者にも関係者にも、また自分には関係ないやと思っている人に読んでほしいーと思った所で気がついた。

この本は2007年、12年前の本なのだ。それで実態に迫っていると感じているとしたら、12年で何も進歩していないってことだ。もしかしたら子供達向けは療育は充実しつつあるというから、良くなっているのかもしれない。

 

実感がないのは私が大人の発達障害 だからかもしれない。

例えば この本に出てくる A君と B君のケース。A 君は発達障害だけど、そこそこ勉強はできる。だけど親や環境に理解されず無理に学校に通って虐められ、会社でもうまくいかず、引きこもりの人生を歩んでいる。B 君は症状としては重い方 なんだけど、周りの人に恵まれ、適切な療育を受け、程よい仕事を得て自立し幸せな毎日を送っている。

A 君はその後どうなったんだろうか。A 君のケアはなされないのだろうか。そこが気になる。しかしそれ以降は語られない。

 

この12年で、発達障害ですと言って分かってくれる人がずいぶん増えた。ツイッターやブログで意見交換が出来るようになった。コンサータが1割負担で買えるようになったのはありがたい。だけど制度と制度のはざまにあって、助けを求めても、助けたい人に出会っても、助けが得られない事はしょっちゅうだ。はざまに落っこちて命を落とした人を思うと涙がでる。まだもう少しかかりそうだよ。

 

この本で あーそうだなと思ったもうひとつのこと。それは放置は一番いけないということだった。集団に放り込み、自然に普通の事ができるようになるだろうと期待することだ。しかし自然というのが一番危険なのだ。自然は弱者を排除する。

今の制度の中では、発達障害のように、周りに合わせることができず、遅刻やミスを繰り返すような人物は淘汰されてしまう。

 

少し前まで、私のような人物は まずめったにいないと思っていたけれど、この数年で実は沢山いる事がわかった。子供たちに限れば、クラスの1割2割は そういった子たちで占められているそうだ。だとすると、2割の未来を奪っているということに他ならない。

 

前回読んだワークデザイン流に考えると、正しく組織に従える人だけを残した結果、男女でまず半分に。そこから2割を引いて、40%が順当な人生を歩んでいる計算になる。実感として合っているという感じがする。

 

この社会が40%しか実力を発揮できていない、とするともったいなくはありませんか。

パイを増やしてみたくはありませんか?

 

そして、60%の下から数えた方が早い位置にいるであろう私はどうしたらいいんだろうーなどど考えてしまいます。