コロナのニュースに疲れています。だけど。

はぁ、もう、まさかこんなことになるとは。

コロナのニュースに疲れてしまいました。

でもニュースがあると見てしまう。
見たくないのにニュースを見てしまう。

 


ゲホゲホしている人がいたら気になってしまいます。

 

 

ネットは不安を運んでくる。濃縮されてだんたん苦しくなってくる。

 

それでTwitterをあんまり見ないようにして、積極的に引きこもっていました。

プログラミングがいい感じに進む。没頭している。集中するとノイズが消える。
ニュースは新聞で。1日1回の紙のメディア。意識して外していく。

 

それでもチラッとは目に入るし、入ると気になって見てしまう。これはもうしょうがない。あきらめて見たいがままにしている。

 

もしかしたら、疲れるのにニュースを見てしまうのは、トラウマのせいかもしれません。

 

対話をしない。
いう事をきけ。
質問は失礼。
先生に選ばれた人だけが質問できる。

 

トラウマが揺さぶられる。子供の私がどうにもできなかった事です。

翻弄される人や、立ち向かう人、、、いろんな解の可能性に気がつくのです。

 

世界の変わり目を見ている。

あんなに残業していた人たちが帰っていく。

苦手な電車が空いていて乗りやすくなっている。

暗くなったビルを見てわるいね。ちょっとざまあって思う。
あのビルの上にいる年老いた偉い人が冷や汗をかいている。
どんなに泣いても、叫んでも、変わらなかったことが変わる。

 

世界が変わるんだ。